ゆらゆら帝国はなぜ伝説なのか──日本語サイケデリックロックの頂点、その正体
この記事でわかること
- 01.1989年結成、2010年解散──21年間の活動でサイケデリックロックの頂点を極めたゆらゆら帝国の軌跡を辿る。
- 02.坂本慎太郎のファズギターと「日本語のオリジナルロック」という一貫した哲学が生み出した、他のどこにもいないバンドの本質を読み解く。
- 03.メジャーデビュー作『3×3×3』から最後の傑作『空洞です』まで、ゆらゆら帝国が残した音楽の地図を案内。
「ゆらゆら帝国」という名前には、深い意味があるわけではない。
結成時にバンド名を決める際、いくつか候補が挙がったがどれもピンと来ず、最もましだった「ゆらゆら帝国」を選んだ程度だと、坂本慎太郎は語っている。
そういう、少し気が抜けたような出発点と、最終的に作り上げた音楽の凄みとのギャップが、このバンドらしい。
1989年の結成から2010年の解散まで21年間。
解散から15年以上が経った今も、日本の音楽好きの間でゆらゆら帝国の名前は特別な響きを持っている。
「日本語のオリジナルロック」という一貫した哲学と、坂本慎太郎のファズギターが生み出す独自のサイケデリックな世界観は、今もどこにもない音楽として語り継がれている。
結成──中央線沿線のカリスマ
ゆらゆら帝国は1989年2月、大学2年生だった坂本慎太郎(1967年9月9日、大阪府出身)が学友の吉田敦を誘って結成した。
多摩美術大学グラフィックデザイン学科に在籍していた坂本は、「日本語のオリジナルロック」を追求するというコンセプトをもとにバンドを始動させた。
吉祥寺の曼荼羅、高円寺の20000Vといった中央線沿線のライブハウスを中心に活動を開始。
その独特のディープかつサイケデリックなサウンドと、ヒッピーを彷彿とさせる外見的な特徴から、中央線インディーシーンでカリスマ的な人気を獲得していった。
1990年、後に最終ラインナップのベーシストとなる亀川千代が加入。
1992年、メンバーチェンジによって3ピースバンドとなり、インディーズレーベルCAPTAIN TRIP RECORDSでの活動を経て、自主制作カセットテープも積極的に制作・販売した。
1997年、「かかし」のメンバーだった柴田一郎(1968年9月2日生まれ)がドラムに加入し、坂本慎太郎(Vo, G)、亀川千代(B)、柴田一郎(Ds)というラインナップが確定。
このスリーピースがバンドの最終形となる。
『3×3×3』(1998年4月15日)──メジャーデビューと衝撃
1998年4月15日、MIDIレコードよりメジャーファーストアルバム『3×3×3』をリリース。
発売とほぼ同時に音楽誌から取材が殺到した。
ガレージパンクとサイケデリックロックが融合したこの作品は、「国内サイケデリック・ロックのマスターピース」とも評されている。
インディーズ時代の自主制作から積み上げてきたサウンドが、柴田一郎のドラムが加わることでよりタイトに引き締まり、各楽器の音も太くなってダイナミックなバンドサウンドに進化した。
続く先行シングル「発光体」もウワサがウワサを呼び、西日本のFM局を中心にオンエアされるなど、インディーズシーンを超えた広がりを見せ始めた。
『ミーのカー』(1999年6月16日)──サイケデリックの深みへ
メジャー2ndアルバム『ミーのカー』は1999年6月16日にリリースされた。
先行シングル「ズックにロック」のガレージサウンド、ライブで人気を集めた「アーモンドのチョコレート」、タイトル通り歪んだギターサウンドが充満する「午前3時のファズギター」など重要曲を収録。
プロデューサーの石原洋(WHITE HEAVEN)とエンジニアの中村宗一郎という制作体制がここで確立し、以降の全作品を手がけることになる。
圧巻なのは25分半にも及ぶ最終曲「ミーのカー(LONG VERSION)」だ。
現実と異なる世界をさまよいながら飛翔し続けるような、ゆらゆら帝国にしか作れない音楽の頂点がここにある。
『ゆらゆら帝国 III』(2001年2月21日)──認知度の広がり
2001年2月21日リリースの7thアルバム(メジャー3rd)は、オリコン15位を記録し、認知度が一気に高まった時期の作品だ。
ほどよくポップ感が加わり、「ゆらゆら帝国とはこういうバンドだ」という輪郭がより多くのリスナーに届くようになった。
『ゆらゆら帝国のしびれ』と『ゆらゆら帝国のめまい』(2003年2月26日)──2枚同時リリースの衝撃
2003年2月26日、8thアルバム『ゆらゆら帝国のしびれ』と9thアルバム『ゆらゆら帝国のめまい』を同日リリース。
この2枚はゆらゆら帝国の音楽的世界観を大きく両極に分けた作品だ。
『しびれ』は音響的・未来的なサウンドとロック的な刺激に溢れた作品で、「夜行性の生き物三匹」「無い!!」などを収録。
一方の『めまい』はバンドのもう一つの真髄である、メロウで切ない感動路線が展開された作品で、坂本以外のボーカル3人の参加が話題になった。
坂本慎太郎のギターと哲学──「日本語のオリジナルロック」の意味
ゆらゆら帝国を語るうえで、坂本慎太郎という人間の音楽的な哲学を外すことはできない。
坂本は「日本語だと例えば、語尾を一文字変えるだけでニュアンスが変わって、こっちの方がぐっとくるという調整ができる。
隅々まで分かる」と、日本語での作詞にこだわる理由を語っている。
英語のネイティブではないからこそ、日本語の細かなニュアンスに自覚的でいられる──そういう逆説的な姿勢が、ゆらゆら帝国の歌詞の独特な感触を生んでいた。
ギター面では、ファズエフェクターを多用した歪んだサウンドがトレードマークだ。
ガレージロック、クラウトロック、サイケデリックロックを横断しながら、独自のポップセンスで消化するそのスタイルは、「どろどろしたサイケデリックサウンドやファズが効いたガレージロック、クラウトロックなどを持ち前のポップセンスで消化したサウンド」と評されている。
また、坂本はCDのアートワークのほぼすべてを自身でデザインしており、多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒という経歴がここにも活きている。
海外進出と評価
2005年にSony Music Associated Recordsへ移籍後、ゆらゆら帝国はヨーロッパやアメリカでのライブ、台湾のフェス出演など海外での活動も活発になっていった。
2005年10月には初のニューヨーク公演を開催。
2009年には、アメリカのレーベルDFAからUS盤アルバムをリリースするまでに至った。
結成20周年を迎えた2009年、日比谷野外大音楽堂でのワンマンライブはオーディエンスを圧倒した。
『空洞です』(2007年)──解散前夜の最高傑作
2007年リリースの最後のスタジオアルバム『空洞です』は、ゆらゆら帝国の最高傑作として評されることが多い。
初期のガレージサウンドは影をひそめ、脱力感あふれる歌をスカスカな単音ギターリフでサイケデリックに表現した本作は、バンドとして解散前にすべてをやり切りたいという熱意がこもった作品だ。
「学校へ行ってきます」のいつまでも学校にたどり着かない不気味さ、タイトル曲「空洞です」の映画主題歌やCMへの起用──この作品はゆらゆら帝国が最も「遠くまで行った」記録だ。
Rate Your Musicでは3.98という高いスコアを記録し、日本だけでなく海外のリスナーにも届いた作品だ。
解散──「これ以上続けてもルーティンワークになるだけだ」
2010年3月31日、ゆらゆら帝国は解散した。
「この3人で、やれることは全てやり切った」「これ以上続けてもルーティンワークになるだけだ」という理由だったという。
解散後、坂本慎太郎は2011年に自主レーベル「zelone records」を設立し、ソロ活動を開始。
ソロアルバム『幻とのつきあい方』(2011年)、『ナマで踊ろう』(2014年)、『できれば愛を』(2016年)、『物語のように』(2022年)などをリリースしながら、国内外でのライブ活動も続けている。
まず聴くならこの3枚
『3×3×3』(1998年4月15日)
メジャーデビュー作にして入門に最適。
ゆらゆら帝国というバンドの輪郭を最もわかりやすく掴める一枚。
『ミーのカー』(1999年6月16日)
「午前3時のファズギター」「アーモンドのチョコレート」収録。
25分超の「ミーのカー(LONG VERSION)」でサイケデリックの深みに引き込まれる。
『空洞です』(2007年)
多くのファンが最高傑作と呼ぶ最後のスタジオアルバム。
「学校へ行ってきます」でゆらゆら帝国の最終到達点を体感してほしい。
| アルバム | リリース日 | 特徴 |
|---|---|---|
| 3×3×3 | 1998年4月15日 | メジャーデビュー作、入門に最適 |
| ミーのカー | 1999年6月16日 | 25分超のタイトル曲、サイケデリックの深みへ |
| ゆらゆら帝国 III | 2001年2月21日 | オリコン15位、認知度が広がった時期の作品 |
| ゆらゆら帝国のしびれ | 2003年2月26日 | 音響的・未来的サウンド寄りの8th |
| ゆらゆら帝国のめまい | 2003年2月26日 | メロウ・叙情的な路線の9th、しびれと同日リリース |
| Sweet Spot | 2005年 | Sony移籍後の10th、海外活動が活発になった時期 |
| 空洞です | 2007年 | 最後のスタジオアルバム、多くのファンが最高傑作と評する |