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音楽が服を作ってきた──モッズからグランジまで、4つのジャンルに見るファッションとの共犯関係

AKIRA

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2026.10.02 Update

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この記事でわかること

  • 01.音楽と服装は、単なる"合わせ技"ではなく、互いを定義し合う共犯関係を築いてきた。
  • 02.1960年代のモッズから70年代のパンク、80年代のヒップホップ、90年代のグランジまで、それぞれの音楽が独自のファッションを生み出した。
  • 03.中にはマーク・ジェイコブスの"グランジコレクション"のように、ストリートの美学がハイファッションに取り込まれ、物議を醸した事例もある。

ライブに行くとき、何を着ていくか悩んだことはないだろうか。
実はこの悩みそのものが、音楽という文化が持つ力を証明している。
音楽ジャンルは、サウンドだけでなく、しばしば独自のファッションまでも生み出してきた。
今回は、その中でも特に象徴的な4つのジャンルを取り上げ、音楽と服装がどう結びついてきたのかを深掘りしたい。

モッズ──スーツにスクーター、英国紳士の反抗

1960年代初頭、ロンドンで生まれたモッズ・カルチャーは、細身のテーラードスーツにネクタイ、そして雨の日のスクーター移動に備えたM-51パーカを基本とするスタイルで知られる。
グリースやポマードをつけない短髪のフレンチ・クルーカットも特徴的だった。
音楽的には当初モダン・ジャズが参照されていたが、60年代半ばにかけてR&B、ファンク、スカ、ロックステディへと広がっていく。

モッズには対抗勢力として「ロッカーズ」という集団もいた。
黒革のジャケットにジーンズでバイクを乗り回し、ロックンロールやロカビリーを愛聴するロッカーズと、きっちりとした身なりでおしゃれを競うモッズは、同じ60年代イギリスの若者文化でありながら対照的な2つの美学を体現していた。
モッズ文化は一度廃れるが、70年代末には「モッズ・リバイバル」としてThe Jamらが再評価。
細身のスーツやスクーター文化は、その後もUKストリートカルチャーの定番として定着し続けている。

パンク──安全ピンが語った、主流文化への異議申し立て

1970年代後半、同じくイギリスで生まれたのがパンクだ。
セックス・ピストルズ、ザ・クラッシュ、ダムドといったバンドが提唱した反体制的な精神は、音楽だけでなく衣服にも色濃く反映された。
革のライダースジャケット、破いたTシャツやデニム、安全ピン、鋲、ボンデージパンツ、強く逆立てた髪型――これらは既製服を自ら切り、留め、文字を書き加えるというDIYの手法によって生み出されたもので、その作り方自体が主流文化への異議申し立てそのものだった。
パンクはやがて音楽、ファッションの枠を超え、アート、ダンス、文学、映画にまで広がる独自のサブカルチャーへと発展していく。

ヒップホップ──adidasを履き替えた瞬間

1980年代、アメリカ・ニューヨークのクイーンズで結成されたRun-D.M.C.は、ラップとロックを融合させた先駆け的存在として知られる。
彼らがまとっていたカンゴールのハット、カザールのサングラス、金のチェーン、そして紐を外して履くadidasのスーパースターは、オールドスクール・ヒップホップのスタイルとして定着した。

特に象徴的なのが、1986年発表の楽曲「My Adidas」だ。この曲は文字通りadidasへの愛を歌ったもので、楽曲のヒットをきっかけに、adidasはRun-D.M.C.と正式なスポンサー契約を締結。
以降20年にわたって関係が続くことになる。スポーツブランドがスポーツ選手以外のアーティストと大規模な契約を結ぶという、当時としては異例の出来事だった。
90年代に入ると、スタイルはよりオーバーサイズかつ”ブリンブリン”と呼ばれる派手な装飾へと変化し、金やダイヤモンドをまとうことが富の象徴として定着。
カール・カナイやフーブーといったヒップホップ発のアパレルブランドも次々に誕生していった。

グランジ──貧しさから生まれ、ランウェイで物議を醸したスタイル

1980年代末、アメリカ・シアトルのインディレーベル「サブ・ポップ」のオーナーが名付けたとされる「グランジ」。
パンクとメタルを融合させたような、重く暗いノイジーな音楽は、当時人気だった派手なハードロックやキラキラしたポップスへのアンチテーゼとして、シアトルの若者たちの間で育っていった。
お金のない彼らが古着をまとう生活そのものが、グランジファッションの出発点だった。

その象徴となったのが、ニルヴァーナのカート・コバーンだ。
着古したフランネルシャツや、元恋人からもらった古着をまとう飾らないスタイルは、作り込まれたロックスターのイメージへの反発でもあった。
興味深いことに、コバーンは1991年にフリルのついた白い襟付きミニドレスを、1992年のMTVビデオ・ミュージック・アワードではボーダーのニットを着用するなど、フェミニンな要素を取り入れたスタイルでも知られていた。

このムーブメントは1992年、ついにモード界をも巻き込むことになる。
当時「ペリー・エリス」のウィメンズデザイン部門バイスプレジデントを務めていたマーク・ジェイコブスは、グランジが持つ気怠い雰囲気に着想を得て、1993年春夏コレクションに”グランジコレクション”を発表。
シルクで仕立てたネルシャツやシフォンのグラニードレスをまとったスーパーモデルたちが、ニルヴァーナの音楽に合わせてランウェイを歩くという、ストリートカルチャーをハイファッションに昇華させる試みだった。
このコレクションはCFDAの「ウィメンズウエア・デザイナー・オブ・ザ・イヤー」を受賞するほど高く評価された一方、ペリー・エリスの保守的な顧客層には受け入れられず、音楽業界からも反発を招いた。
結果としてコレクションラインは終了し、マーク・ジェイコブス自身も契約期間中に解雇されるという、皮肉な結末を迎えている。

服を見れば、鳴っていた音が分かる

モッズのスーツ、パンクの安全ピン、ヒップホップのadidas、グランジの古着。いずれも音楽そのものが持っていた思想や経済状況、反抗心が、自然と服という形に現れたものだ。
そして時にその服装は、音楽の枠を超えてモード界を動かし、物議を醸し、新しい産業すら生み出してきた。
次にどんな服を着てライブに向かうか迷ったときは、その選択自体が、音楽の歴史の延長線上にあることを思い出してみてほしい。

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