カーペンターズはなぜ50年経っても色褪せないのか──兄妹デュオが作った、完璧なポップスの正体
この記事でわかること
- 01.1969年デビュー、1983年のカレンの死により幕を閉じた兄妹デュオ・カーペンターズの軌跡を辿る。
- 02.兄リチャードの編曲力と妹カレンの独特なアルトの歌声が作り出した、ソフトロックの完成形ともいえるサウンドを読み解く。
- 03.半世紀近い時を経てなお新しいリスナーを獲得し続ける、その音楽の本質に迫るアーティスト特集。
柔らかなピアノの音と、深みのあるアルトの歌声。
カーペンターズの音楽を初めて聴いたとき、その完成度の高さに驚いた人は少なくないはずだ。
1970年代、ロックが時代の主流だった中で、彼らは全く異なる方向から世界的な成功を手にした。
兄リチャードが作曲とアレンジを、妹カレンがボーカルを担当するこのデュオの音楽は、半世紀近い時を経た今も色褪せない強度を保っている。
兄妹が音楽に出会うまで
リチャード・カーペンターは1946年10月15日、カレン・カーペンターは1950年3月2日、ともにアメリカ・コネチカット州ニューヘイヴンに生まれた。
1963年、一家はカリフォルニア州ダウニーに移り住む。
音楽好きな両親のもと、リチャードは9歳からピアノのレッスンを始め、聴いた曲を分析する音楽好きの少年として育った。
カレンは当初、音楽に特別な関心を示さなかったが、高校でマーチング・バンドに参加してドラムを始めたことが転機になった。
友人からドラムの手ほどきを受け、両親からドラムセットを買ってもらった頃には、リチャードも驚くほどの腕前に成長していたという。
1965年、リチャード、カレン、クラスメートのウェス・ジェイコブスの3人で「リチャード・カーペンター・トリオ」を結成。
ジャズトリオとしてレコード会社のオーディションを受けるが、商業的な可能性を見出されず契約は解除された。
その後も「スペクトラム」というバンドで活動を続けるが、なかなか契約には結びつかなかった。
デビューと『Close to You』──世界的ブレイクの瞬間
1969年4月22日、リチャードとカレンは「カーペンターズ」名義でA&Mレコードと契約を結んだ。
デビュー・シングル「涙の乗車券(Ticket to Ride)」はビートルズのカバーで、全米54位と控えめな結果に終わった。
しかし続くセカンド・シングル「(They Long to Be)Close to You」が状況を一変させる。
バート・バカラック作曲によるこの曲は、1970年に全米ナンバーワンを獲得し、カーペンターズの名を世界に知らしめた。
同年8月1日にリリースされたアルバム『Close to You』には「We’ve Only Just Begun」も収録され、結婚式の定番曲として今も親しまれている。
カレンの透明感のあるボーカルと、リチャードの洗練されたアレンジが融合したこの作品は、ソフトロックというジャンルの先駆けとして評価されている。
『Carpenters』『A Song for You』──黄金期の到来
1971年5月14日リリースの3rdアルバム『Carpenters』には、レオン・ラッセルとボニー・ブラムレットが作曲したシングル「Superstar」が収録された。
カレンの痛切な歌声が高く評価され、全米ホット100で2位を記録した。
このアルバムはRIAAのプラチナム認定を4度受けるほどの売上を記録し、グラミー賞を受賞している。
1972年6月にリリースされた4thアルバム『A Song for You』は、カーペンターズの表現力の幅を大きく広げた作品だ。
「Top of the World」は1973年9月にシングルカットされ、同年12月にビルボードHOT100で2週連続1位を記録。
カーペンターズにとって2枚目の全米1位シングルとなった。アルバム全体を通じて、より深い感情表現とスピリチュアルな要素が加わり、リチャードの編曲技術とカレンの歌唱力が最高度に結合した作品として評価されている。
カレンの声──なぜこれほど特別なのか
カレン・カーペンターの声は、声種としてはアルトで、3オクターブの声域を持っていた。
その美しさはビートルズのジョン・レノンやポール・マッカートニーをはじめとする一流アーティストたちにも絶賛されている。
ローリング・ストーン誌の「歴史上最も偉大な100人のシンガー」では第94位に選出された。
カレンの声の特別さは、その「低音」にある。
多くのポップス歌手が高音域での表現力を競う中、カレンは低く落ち着いたアルトの音域で、深い感情を伝えることができた稀有なシンガーだった。
当初は「歌うドラマー」として活動していたが、活動が活発になるにつれヴォーカリストとして前面に立つようになり、リチャードの意向もあってヴォーカル専門となっていった。
順風満帆の裏にあったもの──カレンの拒食症
1970年代中盤、世界的な成功を収め続けるカーペンターズだったが、その裏でカレンの体調に変化が起きていた。
原因は神経性無食欲症、いわゆる拒食症だった。
当時のテレビ映像で自分の体形を気にするようになったことがきっかけとされている。
1975年には、来日公演を含むツアーがカレンの健康状態により延期・中止になる事態も起きた。
1980年代に入っても病状は深刻化し、1981年に結婚した私生活でも困難を抱えていた。
一方リチャードも睡眠薬への依存に苦しんでいた時期があり、グループの活動は停滞していた。
1983年2月4日、カレンは32歳で急性心不全のため死去した。
長年の摂食障害が心臓に大きな負担をかけていたことが原因とされている。
この出来事は、摂食障害という問題が広く社会に認知されるきっかけのひとつにもなった。
デビューから14年の活動に、突然の終止符が打たれることになった。
日本における特別な人気
カーペンターズは日本において特に大きな人気を獲得したアーティストのひとつだ。
1970年11月、ヤマハ主催の「第一回国際歌謡音楽祭」にゲストとして初来日し、各方面から絶賛を受けた。
1972年、1974年にも来日を果たしている。
カレンの死後も、その人気は色褪せることがなかった。1995年、グループ結成25周年を機に国内ベスト盤『青春の輝き〜ベスト・オブ・カーペンターズ』が発売されると、当時の活動やカレンの死を知らない若い世代を中心に人気が再燃し、300万枚以上の売上を記録した。
レコード会社には「来日公演はいつですか」という問い合わせが殺到したというエピソードも残っている。
後世への影響
カーペンターズの音楽が持つ「表向きの明るさ」と「内側に潜む孤独感」という対比は、後の世代のミュージシャンにも影響を与えている。
1994年にリリースされたトリビュートアルバム『If I Were a Carpenter』には、ソニック・ユースをはじめとするオルタナティブ系のアーティストが参加し、カーペンターズの楽曲をカバーしている。
彼らのどこか悲劇的な佇まいは、グランジやオルタナティブを通過したアメリカン・インディーにも通じる、過剰な何もなさや孤独感を内包していると評されることもある。
リチャードの天賦のアレンジ能力と、カレンの唯一無二のアルトの声。
この組み合わせが生み出した音楽は、ポップソングという形式を超えた芸術として、今も新しいリスナーを獲得し続けている。
まず聴くならこの3枚
『Close to You』(1970年8月1日)
カーペンターズを世界的ブレイクに導いた2ndアルバム。
「(They Long to Be)Close to You」「We’ve Only Just Begun」収録。
『Carpenters』(1971年5月14日)
グラミー賞を受賞した3rdアルバム。
「Superstar」収録。カレンの歌唱力が高く評価された作品。
『A Song for You』(1972年6月)
表現力の幅を広げた4thアルバム。
「Top of the World」「Hurting Each Other」収録。
カーペンターズの音楽的成熟を体感できる。
| アルバム | リリース日 | 特徴 |
|---|---|---|
| Ticket to Ride(Offering) | 1969年 | デビュー作 |
| Close to You | 1970年8月1日 | 世界的ブレイクをもたらした2nd |
| Carpenters | 1971年5月14日 | グラミー賞受賞、「Superstar」収録 |
| A Song for You | 1972年6月 | 表現力の幅を広げた4th、「Top of the World」収録 |
| Now & Then | 1973年5月1日 | 「Yesterday Once More」収録 |
| Horizon | 1975年 | 6thアルバム |