シューゲイザーとドリームポップ、何が違うのか──音楽好きでも答えに迷う、2つの「夢」の正体
この記事でわかること
- 01.「シューゲイザーとドリームポップって何が違うの?」という疑問に、MUSINAが正面から向き合う。
- 02.言葉の生まれた経緯、サウンドの質感、地域による呼び方の違いまで、複雑に絡み合う2つのジャンルを丁寧に解きほぐす。
- 03.実は専門家やファンの間でも答えが分かれる、音楽好きの「永遠の議題」に挑む。
正直に告白したい。この記事を書くにあたって、私自身、何度も言葉に迷った。
「シューゲイザーとドリームポップって何が違うんですか?」と聞かれたとき、自信を持って即答できる人はそう多くない。
実際、海外の音楽メディアで活動するライターでさえ「何年もこのジャンルのファンをやっているのに、いまだに端的に説明するのに苦労する」と書いているのを見つけた。
専門家でも迷うジャンル、それがシューゲイザーとドリームポップだ。
今回はこの2つの言葉の生まれた経緯から、サウンドの質感の違い、そして「結局どう聴き分ければいいのか」まで、できる限り丁寧に解きほぐしていきたい。
まず知ってほしいこと──この2つは「ほぼ同じ言葉」として使われてきた
最初に伝えておきたい重要な事実がある。
シューゲイザーとドリームポップは、1990年代当時、しばしば「相互に入れ替え可能な、地域による呼び方の違い」として扱われてきた言葉だ。
イギリスでは「シューゲイザー」、アメリカでは「ドリームポップ」と呼ばれる傾向があったとされている。
つまり「この2つは全く別物だ」と思って読み進めると、むしろ混乱する。
同じ音楽を指して、時代や場所によって違う名前で呼ばれてきた、というのがまず大前提だ。
「ドリームポップ」という言葉の誕生
「ドリームポップ」という言葉を最初に使ったのは、1980年代後半に活動していたイギリスのバンドA.R. Kaneのメンバー、アレックス・アユリだ。
自分たちのバンドの折衷的なサウンド──幽玄なダブ的プロダクション、歪んだギター、ドラムマシンなどを混ぜ合わせた音楽──を説明するために、この言葉を使ったとされている。
その後、音楽評論家サイモン・レイノルズがこの言葉をA.R. Kaneの説明に採用し、後にイギリスで生まれつつあった「シューゲイザー」のシーンにもこの言葉を拡張して使うようになった。
ドリームポップの源流をさらに遡ると、1980年代前半、レーベル4ADに所属していたコクトー・ツインズの存在が大きい。
エリザベス・フレイザーの幻想的な声と、儚く空気感のあるサウンドスケープは、後のドリームポップの基礎を作った。
1990年のアルバム『Heaven or Las Vegas』はこのジャンルを代表する一枚として今も語られている。
「シューゲイザー」という言葉の誕生
一方「シューゲイジング(Shoegazing)」という言葉は1991年、音楽業界関係者のアンディ・ロスがMooseというバンドについて説明する際に作った言葉だ。
当初は音楽メディアによる「ネガティブな評価」として使われていた。
その由来は、ステージ上でほとんど動かず、ギタリストが足元のエフェクトペダルをじっと見つめている(=靴を見つめている=shoe-gazing)演奏スタイルへの揶揄だった。
ライブパフォーマンスが地味だという批判から生まれた、いわば「悪口」が定着してジャンル名になったという、少し皮肉な経緯がある。
シューゲイザーの音楽的なルーツは、フィル・スペクターの「ウォール・オブ・サウンド」やヴェルヴェット・アンダーグラウンド、1960年代のサイケデリックポップにあるとされる。
My Bloody Valentineのケヴィン・シールズが開発した「グライドギター」というテクニックが、1988年の作品で導入されたことがこのシーンの形成における重要な転換点になった。
そして1991年、My Bloody Valentineの『Loveless』のリリースによって、シューゲイザーはピークを迎えた。
270,000ポンドの予算と19のスタジオを使い、2年半をかけて制作されたと言われるこの作品は、今も「最高のシューゲイザー作品」のリストで頻繁に1位に挙げられている。
サウンドの違いを言葉にするとしたら
では実際、聴いたときにどう違うのか。
この問いに最も的確に答えているのが、Galaxie 500というバンドの創設者ディーン・ワーハムの言葉だ。
ワーハムは「シューゲイザーはより”攻撃”的で、音の壁(ウォール・オブ・サウンド)のようなものが多い」と語り、一方で「ドリームポップはメロディとカウンターメロディのための余地がより多い。
ボーカルでも、キーボードでも、ギターでも」と説明している。
つまり大まかな傾向として、シューゲイザーは「轟音とノイズの密度」に重心があり、ドリームポップは「メロディと空間の美しさ」に重心がある、
という違いはある。
ただしこれも厳密な境界線ではなく、AllMusicは「ドリームポップ」という言葉の中に、My Bloody Valentineの「轟音のフィードバック」と、Galaxie 500の「ポスト・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド的なギターロック」の両方を含めて説明している。
つまり「ドリームポップ」という言葉自体が、シューゲイザー的な轟音も内包する、幅の広い言葉として使われているということだ。
なぜこんなに紛らわしいのか
正直なところ、この2つのジャンルが紛らわしい最大の理由は、「言葉が先に生まれて、音楽性の境界は後から追いついていない」という経緯にある。
「シューゲイザー」はライブパフォーマンスへの揶揄から生まれた言葉で、もともと音楽的な定義を厳密に意図していなかった。
「ドリームポップ」もアレックス・アユリが自分のバンドの折衷的なサウンドを表すために作った、個人的な造語だった。
その後、批評家がこれらの言葉を拡張して使ううちに、指し示す範囲がどんどん広がり、重なり合っていった。
海外の音楽メディアのインタビューでも、あるミュージシャンは「シューゲイザーという言葉を見れば見るほど、その輪郭がより曖昧になっていく」と語っている。
My Bloody Valentine、Cocteau Twins、M83といった全く違う音を持つアーティストが、同じ「シューゲイザー」という言葉の傘の下に入れられてしまう現状を、当事者自身が「定義しづらいが、それが面白い部分でもある」と表現している。
代表的なアーティストで聴き分けてみる
言葉で説明するより、実際の音で感じる方が早いかもしれない。代表的なアーティストを並べてみる。
| アーティスト | 代表作 | 傾向 |
|---|---|---|
| My Bloody Valentine | Loveless(1991年) | シューゲイザーの最高到達点とされる轟音と多重ギター |
| Cocteau Twins | Heaven or Las Vegas(1990年) | ドリームポップの源流、幻想的なボーカルと空間美 |
| Slowdive | Souvlaki(1993年) | シューゲイザーとドリームポップの中間的な質感 |
| Mazzy Star | So Tonight That I Might See(1993年) | アメリカ的なドリームポップ、ロサンゼルスの退廃的な空気 |
| Beach House | Teen Dream(2010年1月26日) | 2000年代以降のドリームポップ・リバイバルを代表する存在 |
現代への接続──Beach Houseという架け橋
2000年代後半以降、ミレニアル世代のリスナーの間でこのジャンルが再び注目されるきっかけになったのが、ボルチモア出身のデュオBeach Houseだ。
2010年1月26日にリリースされた3rdアルバム『Teen Dream』は、批評家から高い評価を受け、複数のメディアで2010年の年間ベストアルバムに選出された。
Beach Houseの音楽もまた、「シューゲイザーとドリームポップ、両方の要素を持つ」と評されることが多い。
つまり2020年代の今聴いても、この2つの言葉の境界線がはっきりしないことに変わりはない。
それでいい、というのが正直な結論だ。
結局、どう聴き分ければいいのか
ここまで調べて、私が辿り着いた結論はこうだ。
「シューゲイザーとドリームポップを完璧に区別する必要はない」。
もし便宜的な目印が欲しいなら、「轟音でノイジー、ライブで動かない」と感じたらシューゲイザー、「幻想的でメロディが前に出ている」と感じたらドリームポップ、という大まかな感覚で十分だ。
実際の音楽シーンでも、この2つの言葉は重なり合いながら使われ続けてきた。
専門家でさえ完璧に説明できないジャンルなら、リスナーが完璧に分ける必要もない。
大事なのは、My Bloody Valentineの轟音に圧倒されることも、Cocteau Twinsの幻想的な声に浸ることも、どちらも同じ「夢のような音楽」を求める気持ちから生まれているということだ。
まず聴くならこの3枚
My Bloody Valentine『Loveless』(1991年)
シューゲイザーの最高到達点。
轟音と多重ギターの中に浮かぶ儚いメロディを体感してほしい。
Cocteau Twins『Heaven or Las Vegas』(1990年)
ドリームポップの源流。
エリザベス・フレイザーの幻想的な声に身を委ねてほしい。
Beach House『Teen Dream』(2010年1月26日)
現代のリスナーが最初に触れやすい一枚。
2010年代以降のドリームポップ・リバイバルの起点。