BLANKEY JET CITYはなぜ伝説なのか──日本ロック史上最もカッコよかった3人の奇跡
この記事でわかること
- 01.1987年結成、2000年解散──わずか10年の活動でロック史に永遠の爪痕を残したBLANKEY JET CITYの本質に迫る。
- 02.浅井健一のギターと言葉、中村達也の破壊的なドラム、照井利幸のベース──3人の奇跡的な化学反応が生んだサウンドを解説する。
- 03.「なぜBLANKEY JET CITYはこんなにカッコいいのか」という問いに、正面から向き合ったアーティスト特集。
かっこいいバンドはたくさんいる。
でも「あの3人じゃなければ出せなかった音」というものがある。BLANKEY JET CITYはまさにそういうバンドだった。
浅井健一のギターと声、照井利幸のベース、中村達也のドラム──この3人が揃ったとき、他のどのバンドとも違う何かが鳴った。
1987年結成、2000年解散。
約10年の活動の中でオリジナルアルバム9枚をリリースし、日本のロックシーンに消えない爪痕を残した。
解散から四半世紀が経った今も、若いリスナーが「BLANKEY JET CITYを発見した」と言い続けている。
それがこのバンドの異様な力だ。
結成と初期──イカ天から始まった伝説
BLANKEY JET CITYは1987年2月、東京で結成された。
浅井健一(ボーカル・ギター、愛知県出身)、照井利幸(ベース、愛知県出身)、中村達也(ドラム、富山県出身)の3人による、いわゆるスリーピースバンドだ。
浅井のあだ名「ベンジー」は、照井が映画の登場人物に似ていると名付けたものだという。
バンド名の由来は、彼らが考えた架空の物語だ。
「黒人解放運動家のブランキーという男が旅に出て、不良が集まる架空の都市JET CITYに辿り着き、後に市長になった」というストーリーがその元になっている。
1990年8月、TBSで放送されていたオーディション番組『三宅裕司のいかすバンド天国(イカ天)』に出演し、第6代グランドイカ天キングを獲得。
縦ノリのパンクバンドが主流だったバンドブームの中で、硬派でストイックなアメリカの不良のような佇まいと特異な叙情性が審査員全員一致で選ばれた。
これがデビューのきっかけとなった。
メジャーデビューと初期三部作
1991年4月12日、ロンドンでレコーディングされたデビューアルバム『Red Guitar And The Truth』を東芝EMIからリリース。
オリコン初登場8位を記録した。
プロデューサーはセックス・ピストルズやザ・クラッシュを手がけたジェレミー・グリーン。ガレージロックとネオロカビリー的な音楽性と、浅井健一のグレッチのギターによるリフが特徴の一枚だ。
ただしメンバー自身はサウンドに不満を残しており、後年4曲を再レコーディングしている。
1992年1月22日リリースの2ndアルバム『BANG!』では、よりバンドとしての方向性が固まってきた。
1993年2月24日の3rdアルバム『C.B.Jim』と合わせて、初期三部作としてファンに語り継がれている。
『C.B.Jim』(1993年2月24日)──代表作にして頂点
多くのファンと批評家が「BLANKEY JET CITYの代表作」として挙げる3rdアルバム『C.B.Jim』は、1993年2月24日にリリースされた。
「D.I.J.のピストル」「PUNKY BAD HIP」「3104丁目のDANCE HALLに足を向けろ」「悪いひとたち」などの重要曲を収録し、バンドの音楽的な核心がここに結晶化している。
ROCKIN’ON JAPAN編集部に「悪いひとたち」のデモテープが届いたとき、「これは歴史に残る曲になる」と部内で大騒ぎになったというエピソードが残っている。
「悪いひとたち」は後の1995年のベストアルバム『THE SIX』で完全バージョンが収録された(ストリングス導入、歌詞のマスキングなし)。
また本作は作詞面で架空の人物を設定する新たな試みがなされた作品でもある。
浅井は「何かを見失いかけた時の作品だが、バンドは色々な時期があるので、それはそれでいい」と語っている。
浅井健一という音楽家──言葉とギターの異才
BLANKEY JET CITYを語るうえで、浅井健一というミュージシャンの特異性は欠かせない。
浅井のギタープレイは「技術」よりも「危うさ」にある。完璧に磨かれたテクニックではなく、今にも何かが起きそうな緊張感が弦の上に宿っている。
グレッチのギターが生む乾いた音と、その音に乗せた言葉の世界観が唯一無二の質感を作り出す。
歌詞の世界観はアウトロー、孤独、暴力、愛情が混在する独自の「浅井健一ワールド」だ。
アメリカ映画やロカビリーの匂いがしながら、根本には日本的な情感が宿っている。
この矛盾した豊かさが、BLANKEY JET CITYの文学性の核心だ。
中村達也というドラマー──破壊と衝動の体現者
BLANKEY JET CITYのもう一人の核心が、ドラマーの中村達也だ。
元々ザ・スターリンやTHE STAR CLUBといった日本のパンクバンドに在籍していた中村の叩き方は、「演奏」というより「破壊」に近い。
その衝動的なプレイが、浅井の繊細な言葉と組み合わさることで生まれる緊張感が、BLANKEY JET CITYのライブの異様な熱量の源泉だった。
バンド内での唯一の中村達也による作曲曲が『C.B.Jim』に収録されており、デモテープの段階では「アラビアのロレンス」を意識した曲になっていたという。
中期から後期──変化と拡張
1993年12月1日に4thアルバム『METAL MOON』、1994年5月25日に5thアルバム『幸せの鐘が鳴り響き僕はただ悲しいふりをする』をリリース。
この5thアルバムのリリース時期にバンド名から定冠詞「THE」が外れ「BLANKEY JET CITY」となった。
同年12月には初の日本武道館ライブを行っている。
1995年11月22日の6thアルバム『SKUNK』はセルフプロデュース作品ではなく、土屋昌巳がプロデュースを担当。
バンドが『BANG!』から『SKUNK』まで継続してプロデュースを依頼した人物だ。
1996年以降、照井利幸のJOE BROWNNなど3人それぞれがソロ活動を展開。
しかし翌1997年、レコード会社をポリドールに移籍して再始動。
1997年6月18日に7thアルバム『LOVE FLASH FEVER』をリリースした。
1998年6月24日の8thアルバム『ロメオの心臓』では打ち込みによるループサウンドを導入した新境地を開いた。
「赤いタンバリン」「SWEET DAYS」などのポップな曲がヒットチャートに入り、地上波テレビの音楽番組への出演も増え、ファン層が拡大した時期でもある。
解散へ──『HARLEM JETS』と朝日新聞の広告
2000年5月10日、9thアルバム『HARLEM JETS』が完成した。
そのリリースと同日、朝日新聞の広告上に「最高のアルバムが出来たのでおれたちは解散します」という一文が掲載された。
突然の解散宣言だった。
アルバムは自己最高となるオリコン初登場2位を記録した。
同年7月8日・9日、横浜アリーナで最後のワンマンライブ「LAST DANCE」を開催。
そして7月28日、FUJI ROCK FESTIVAL ’00に出演。
日本人アーティストとして初のGREEN STAGEヘッドライナーを務め、このステージを最後に活動を終えた。
この解散の仕方──最高作を出してから、広告一本で発表するというやり方──もまた、BLANKEY JET CITYらしかった。
解散後の3人と再評価
解散後、浅井健一はSHERBETS、JUDEなどのバンド活動とソロ活動を継続している。
中村達也はLOSALIOS(後に改名)、ソロ活動など幅広く活動。
照井利幸もJOE BROWNNなどで活動を続けた。
2024年7月27日にはサブスクリプションサービスでの全曲解禁と、全オリジナルアルバムのアナログ盤一挙発売が実現。
これをきっかけに再び注目が高まり、若いリスナーへの再発見が加速している。
MUSINAでZ世代が発見した90年代邦楽の一枚としても「悪いひとたち」を取り上げたが、BLANKEY JET CITYはまさに「時代を超えて発見されるバンド」の典型だ。
まず聴くならこの3枚
『C.B.Jim』(1993年2月24日)
BLANKEY JET CITY入門として最もバランスが良い一枚。
「D.I.J.のピストル」「悪いひとたち」「PUNKY BAD HIP」──バンドの核心がここにある。
『BANG!』(1992年1月22日)
初期の荒削りなエネルギーをそのまま体感できる2ndアルバム。
『C.B.Jim』を聴いた後に遡ってほしい。
『HARLEM JETS』(2000年5月10日)
最後にして自己最高位を記録した解散作。
「最高のアルバムが出来たので解散します」という言葉の意味がわかる一枚。
| アルバム | リリース日 | 特徴 |
|---|---|---|
| Red Guitar And The Truth | 1991年4月12日 | デビュー作、ロンドン録音、ガレージ・ロカビリー色 |
| BANG! | 1992年1月22日 | 初期の荒削りなエネルギーが結晶化した2nd |
| C.B.Jim | 1993年2月24日 | 代表作、「悪いひとたち」「D.I.J.のピストル」収録 |
| METAL MOON | 1993年12月1日 | 4thアルバム |
| 幸せの鐘が鳴り響き僕はただ悲しいふりをする | 1994年5月25日 | 初の武道館ライブ開催時期、「THE」が外れた時期 |
| SKUNK | 1995年11月22日 | 土屋昌巳プロデュース、セルフプロデュース作 |
| LOVE FLASH FEVER | 1997年6月18日 | ポリドール移籍後の再始動作 |
| ロメオの心臓 | 1998年6月24日 | 打ち込みループ導入、「赤いタンバリン」収録 |
| HARLEM JETS | 2000年5月10日 | 解散作、自己最高オリコン2位、FUJI ROCK最後のステージ |
2024年のサブスク解禁・アナログ盤発売を機に、今こそBLANKEY JET CITYを聴く最高のタイミングが来ている。