Blur──アメリカへの反抗から生まれた、もう一つのBritpop
この記事でわかること
- 01.Blurは1988年、ロンドンでデーモン・アルバーンとグレアム・コクソンを中心に結成された英国のオルタナティブロックバンド。
- 02.『Parklife』などの作品でBritpopムーブメントを牽引し、ライバルバンドOasisとのチャート対決でも知られた。
- 03.コクソンの脱退と活動休止を経て、2000年代末から複数回の再結成を重ねながら今も活動を続けている。
Oasisと並び称される、Britpop期を代表するバンド。それがBlurだ。
しかし両者の出発点はまったく異なる。
労働者階級の熱量で突き進んだOasisに対し、Blurはアート・スクールの気風と、アメリカ文化への反抗心から生まれたバンドだった。
ゴールドスミス・カレッジで出会った4人
Blurは1988年、ロンドンで結成された。
幼馴染だったデーモン・アルバーンとグレアム・コクソンは、ロンドンのゴールドスミス・カレッジに進学した際にアレックス・ジェームスと出会う。
アルバーンは当時「Circus」というバンドに所属しており、そこにドラムのデイヴ・ロウントゥリーが加入。
ギタリストの脱退にともないコクソンが招かれ、その後メンバー2人が脱退したところにジェームスがベースとして加入した。
バンドは一時「Seymour」と名乗った後、Blurに改名。1989年夏、ライブデビューを果たしている。
1991年のデビューアルバム『Leisure』は、当時流行していたマッドチェスターやシューゲイザーの音を色濃く反映した作品だった。
アメリカへの反抗から生まれた音楽性の転換
キンクス、ビートルズ、XTCといった英国的なギターポップからの影響を受け、Blurは音楽性を大きく転換させる。
1993年発表の2ndアルバム『Modern Life Is Rubbish』は、アルバーン自身、当時のアメリカ文化の覇権的な広がりへの反動として制作したと語っている。
この方向転換こそが、後にBritpopと呼ばれるムーブメントの下地を作ることになった。
『Parklife』というBritpopの教科書
1994年発表の3rdアルバム『Parklife』は、Britpopを象徴する1枚として今も語り継がれている。
表題曲「Parklife」は俳優のフィル・ダニエルズをフィーチャーした語りが特徴的な楽曲で、2012年のロンドン五輪閉会式では近衛師団の合同バンドによって演奏された。
先行シングル「Girls & Boys」は全英5位を記録するヒットとなった。
同年には、ライバルバンドOasisの「Roll with It」とシングル「Country House」がチャート首位を争う”Battle of Britpop”としても大きな話題を呼んでいる。
1995年発表の4thアルバム『The Great Escape』を経て、Blurは英国内で絶大な人気を確立した。
『Song 2』とアメリカ、そしてコクソンの脱退
1997年発表のセルフタイトル作『Blur』では、アメリカのローファイ・インディーロックからの影響を受けた、再びの音楽的転換を見せる。
この作品からのシングル「Song 2」は、皮肉を込めたグランジのパロディとして作られた楽曲だったが、結果的にアメリカ市場でバンド初の大きな成功をもたらすことになった。
1999年発表の5thアルバム『13』はオリジナルメンバーによる最後の作品となり、アルバーンとコクソンのより個人的な感情が反映された、エレクトロニックやゴスペルの要素を取り入れた作品に仕上がっている。
2002年5月、7thアルバム『Think Tank』(2003年)のレコーディング中に、コクソンがバンドを脱退。Blurはしばらくの間、活動を休止することになった。
幾度の再結成、そして今
2000年代末、Blurは最初の再結成を果たし、以降も複数回にわたり再結成を重ねながら、バンドとしてのレガシーを積み上げてきた。
2015年には『The Magic Whip』、2023年には『The Ballad of Darren』を発表するなど、オリジナルメンバー4人での活動も継続している。
労働者階級の熱狂で駆け抜けたOasisとは対照的な、アート・スクール発の知的な反骨精神。
それこそが、Blurというバンドが今もなお色褪せない理由なのだろう。