ピクシーズ──「静かに、そして轟音を」、グランジの教科書を書いたバンド
この記事でわかること
- 01.ピクシーズは1986年、アメリカ・ボストンでブラック・フランシスとジョーイ・サンティアゴを中心に結成された。
- 02.1988年のデビュー作『Surfer Rosa』で確立した「静と動」のダイナミクスは、ニルヴァーナのカート・コバーンに大きな影響を与えたことで知られる。
- 03.結成40周年を迎えた2026年、『Bossanova』『Trompe le Monde』のリマスター・エディションが公開された。
「静かに、そして轟音を」。
この単純明快なダイナミクスを武器に、1990年代のオルタナティブロック、そしてグランジという潮流そのものに影響を与えたバンドがいる。ピクシーズだ。
結成40周年を迎えた2026年、代表作2枚のリマスター・エディションが世に出たことを機に、その歩みを振り返りたい。
新聞広告から始まったバンド
ピクシーズは1986年1月、アメリカ・ボストンで結成された。
中心となったのは、ボストン大学のルームメイトだったブラック・フランシス(本名:チャールズ・マイケル・キタリッジ・トンプソン4世)とジョーイ・サンティアゴ。
バンド結成の2週間後、フランシスは地元新聞に「フォークデュオのピーター・ポール・アンド・マリーと、オルタナティブバンドのハスカー・ドゥ、両方が好きな女性ベーシスト」を募集する広告を出した。
この広告に応じたのはキム・ディールただ一人。
オーディションにはベースすら持たずに現れ、楽器を弾いたことすらなかったという。
それでも、フランシスが聴かせた曲を気に入ったことから加入が決まり、その後ベースを購入して練習を始めた。
ディールの夫の友人だったデイヴィッド・ラヴァリングがドラムとして加わり、4人組の体制が整う。
バンド名は、サンティアゴが辞書から無作為に選んだ「pixies(いたずら好きな小さな妖精)」という単語に由来する。
『Surfer Rosa』が確立した「静と動」
1987年、18曲入りのデモテープ「パープル・テープ」を制作したことがきっかけとなり、イギリスの独立レーベル4ADと契約。
1988年、デビューアルバム『Surfer Rosa』を発表する。
プロデュースを手がけたのはスティーヴ・アルビニ。
ディールのベースラインとラヴァリングのドラムを土台にした抑制の効いたヴァースから、フランシスとサンティアゴの歪んだギターが炸裂するサビへと展開する「静と動」のダイナミクスは、このアルバムですでに確立されていた。
1989年発表の『Doolittle』は、バンドの最高傑作として今なお評価される作品だ。
この「静と動」の手法は、後の1990年代初頭のグランジムーブメントの発展に大きな影響を与えることになる。
カート・コバーンが認めた影響
ニルヴァーナのカート・コバーンは、『Surfer Rosa』を自身にとって主要な音楽的影響の一つに挙げ、特にスティーヴ・アルビニによる自然で力強いドラムサウンドを高く評価していた。
コバーンは、代表曲「Smells Like Teen Spirit」が『Doolittle』の楽曲群から強い影響を受けたことも公言している。
アルビニは後に、コバーン自身の依頼によってニルヴァーナの1993年作『In Utero』のプロデュースも手がけることになった。
ブラック・フランシス自身も、この影響関係についてある種のユーモアを込めて認めている。
ロイターの取材に対し、コバーンが自ら影響を認めるなら、自分もそれを認めよう、という趣旨の発言をしたことがある。
解散、再結成、そして40周年
1990年、ディールを除くメンバーがロサンゼルスへ移住。
3rdアルバム『Bossanova』は、この慌ただしい状況の中で制作された。
シングル「Velouria」「Dig for Fire」を収録した本作は、全米70位、全英3位を記録している。
しかし1991年、4thアルバム『Trompe le Monde』の頃にはメンバー間の緊張が高まり、バンドは事実上の解散状態に。1993年、正式に解散した。
2004年、ピクシーズは複数都市をめぐるツアーで再結成を果たす。
2013年にはディールが脱退し、以降はキム・シャタック、そしてパズ・レンチャンティンとベーシストが交代しながら活動を継続してきた。
そして2026年、結成40周年を記念して『Bossanova』と『Trompe le Monde』のリマスター・エディションが公開された。
「静かに、そして轟音を」というシンプルな発明が、40年後の今もなお色褪せていないことを、この節目が証明している。