RADIOHEAD──ロックを解体し続けたバンドが、19年ぶりに戻ってくる
引用元:RADIOHEAD 公式サイト
この記事でわかること
- 01.RADIOHEADは1985年、イギリス・オックスフォードシャーで結成されたロックバンド。
- 02.1997年の『OK Computer』、2000年の『Kid A』を経て、ロックバンドという形式そのものを解体・再構築してきた。
- 03.2027年6月、2008年以来19年ぶりとなる単独来日公演を、さいたまスーパーアリーナで行う。
2027年6月、RADIOHEADが19年ぶりに日本のステージへ戻ってくる。
ロックバンドという形式そのものを何度も解体し、作り直してきたこのバンドの歩みを、来日を前に振り返っておきたい。
学校の同級生たちが組んだバンド
RADIOHEADは1985年、イギリス・オックスフォードシャーで結成された。
当時メンバーはまだ10代。
トム・ヨーク(Vo・Gt)は、同じ学校でエド・オブライエン(Gt)、コリン・グリーンウッド(Ba)と出会い、リズムを刻んでいたドラムマシンが故障したことをきっかけに上級生のフィル・セルウェイ(Dr)を勧誘。
さらに、兄のバンドに入りたがっていた当時15歳のジョニー・グリーンウッド(コリンの弟)がキーボードのサポートメンバーとして加わった。
バンド名は「On a Friday」。
バンド名「RADIOHEAD」は、コリン・グリーンウッドがトーキング・ヘッズの楽曲から名付けたものだ。
1991年、ヨークが22歳のとき、パーロフォンと契約を結び、バンド名をRADIOHEADに改める。
1992年発表のシングル「Creep」が話題を呼び、一躍知名度を高めた。
『OK Computer』という金字塔、そしてトム・ヨークの不調
1995年の『The Bends』を経て、1997年、3rdアルバム『OK Computer』を発表。
このアルバムは、イギリスの音楽雑誌『Q』から「史上最高のロックアルバム」と評されるなど、批評家からもリスナーからも絶大な評価を得た。
しかし、その成功の裏でトム・ヨークは精神的に消耗していた。
『OK Computer』のツアー後、新しい音楽を書くことが不可能になるほどの不調に陥り、映画『ファイト・クラブ』(1999年)のスコアを依頼された際も、ストレスからの回復を優先して辞退している。
『Kid A』という解体
この苦しみを経て生まれたのが、2000年発表の4thアルバム『Kid A』だった。
オーセンティックなギターロックを大胆に放棄し、エレクトロニカ、アンビエント、ジャズ、クラウトロックといった要素を取り入れた本作は、エイフェックス・ツインをはじめとするワープ・レコーズ系アーティストからの影響を色濃く反映していた。
ロックバンドとしてのルールからの脱却を、ストレスと叫び、そして狂気をもって成し遂げた革命的な1枚だったと言えるだろう。
「すべてはあなた次第」──In Rainbowsという実験
2007年10月10日、RADIOHEADは突如公式サイト上で、7thアルバム『In Rainbows』を発表した。
当時所属していたレーベルとの契約を『Hail to the Thief』を最後に終え、フリーの立場で制作されたこの作品は、リスナーが自由に価格を決めてダウンロード購入できるという、前代未聞の販売方式を採用した。
無料でもよいし、好きな額を払ってもいい。
音楽の価値そのものを問いかけるこの試みは世界中で大きな話題を呼び、後にトレント・レズナーが手がけた作品など、他のアーティストの販売手法にも影響を与えた。
音楽的にもミニマルな成熟を見せた本作は、全米・全英チャートで初登場1位を記録し、グラミー賞も受賞している。
19年ぶりの来日へ
2011年の『The King of Limbs』、2016年の『A Moon Shaped Pool』と作品を重ねてきたRADIOHEADは、2025年、8年ぶりとなるステージ復帰を果たした。
そして2027年6月、2008年以来19年ぶりとなる単独来日公演が、さいたまスーパーアリーナで実現する。
結成から40年以上。
ロックバンドという枠組みを何度も壊し、その都度新しい音楽の形を提示してきたRADIOHEADが、19年という長い沈黙を経て日本のステージに立つとき、どんな音を鳴らすのか。
今から期待が高まる。