フィッシュマンズ──フロントマンを失ってなお、鳴らし続けられた音楽
引用元:フィッシュマンズ公式サイト
この記事でわかること
- 01.フィッシュマンズは1987年、明治学院大学の学生だった佐藤伸治らによって結成されたバンド。
- 02.1999年、ボーカルの佐藤伸治が33歳で急逝したが、ドラムの茂木欣一の呼びかけによりバンドは2005年に再始動。
- 03.ゲストボーカルを迎えながら佐藤の楽曲を鳴らし続けるという選択は、今なお国内外で評価され続けている。
ボーカルであり、ほとんどの楽曲の作詞作曲を手がけていた中心人物を失う。
バンドにとって、これほどの喪失はない。
それでもフィッシュマンズは、鳴り続けることを選んだ。
明治学院大学の音楽サークルから

フィッシュマンズは1987年、明治学院大学の学生だった佐藤伸治(Vo・Gt・コルネット)、小嶋謙介(Gt)、茂木欣一(Dr)の3人によって結成された。
佐藤と茂木は音楽サークル「ソングライツ」、小嶋は「ライトミュージックソサエティ」に所属しており、後にベースの柏原譲が加わる。
1988年から渋谷のライブハウスLa.mamaを中心に活動を開始。
当初はThe JamやThe Whoに影響を受けたビートバンドだったが、次第にレゲエやスカ、ロックステディを取り入れたギターロックへと変化していった。
1989年、RCサクセションのマネージャーだった奥田義行が設立した事務所「りぼん」と契約を結び、1991年、シングル「ひこうき」でバージン・ジャパンよりメジャーデビューを果たす。
『空中キャンプ』という到達点
1995年、ポリドールへの移籍後にリリースした初のシングル「ナイトクルージング」がチャートインし、注目を集め始める。
そして1996年発表のアルバム『空中キャンプ』は、その高い完成度とオリジナリティで大きな評価を獲得した。
DJやクラブミュージックのシーンからも支持され、テクノ系やサブカルチャー系の雑誌にも度々取り上げられるようになる。
一方で、サウンドを支えたエンジニアZAKの離脱や、拠点としていたハワイスタジオの閉鎖など、バンドを取り巻く環境は目まぐるしく変化し続けていた。
1998年の別れ、そして1999年の急逝
1998年、「男達の別れ」ツアーの最終公演を最後に、ベースの柏原譲がバンドを脱退。
フィッシュマンズは佐藤と茂木の2人体制となった。この最終公演を収めたライブアルバム『98.12.28 男達の別れ』は、今なお国内外で高く評価される作品となっている。
しかし、このツアーからわずか数カ月後の1999年3月15日、佐藤伸治が急逝する。
33歳だった。死因は心不全と発表されたが、具体的な死因は公表されていない。
ほとんどの楽曲の作詞・作曲とボーカルを担っていた佐藤を失い、バンドとしての活動は休止を余儀なくされた。
茂木欣一の選択、そして再始動
フロントマンを失ったバンドが解散するのは、決して珍しいことではない。
しかし、ひとり残された茂木欣一は、バンドを解散せず、佐藤の楽曲を鳴らし続けるという道を選んだ。
2005年、茂木の呼びかけによりフィッシュマンズは再始動。
原田郁子(クラムボン)、ハナレグミ、UAといったゲストボーカルを迎えながら、佐藤伸治が遺した楽曲をアップデートし続けている。
2021年7月9日には、デビュー30周年を記念したドキュメンタリー映画『映画:フィッシュマンズ』が公開された。
クラウドファンディングで1800万円超を集めて製作された本作は、2019年の「闘魂2019」リハーサルから撮影を開始し、明治学院大学の部室や渋谷La.mama、日比谷野外音楽堂などゆかりの地を巡りながら、現・旧メンバーへのインタビューを敢行。
関係者が保管していた100本以上のVHS素材をデジタイズした、本邦初公開となる映像も多数収録した、172分に及ぶ作品となった。
今も現在進行形のバンドとして
サブスクリプションサービスの解禁を機に、フィッシュマンズは海外での評価も高まりを見せている。
中心人物を失いながらも、過去の遺産として消費されるのではなく、今なお現在進行形のバンドとして音を鳴らし続けている。
その事実こそが、佐藤伸治が遺した音楽の強さを、何よりも雄弁に物語っている。